水戸黄門さん 1999/01/27

私が、初めて色盲、色弱という言葉を知ったのは小学校6年生の時でした。その当時学校では、軍人将棋がはやっていて、昼休みなどよく友達とその将棋であそんでいました。当時私は将棋の駒の色分けが判らず友人に頼んで並べてもらっていましたが、なぜ、他のみんなが判るのか本当に不思議でした。

そんな時、自分の家で父親とその将棋をし、大騒ぎになったんです。そうです、私が駒の色分けが出来ないということが解ったからです。両親に連れられ、そく眼科に直行です。帰ってきて母親が一人泣いていました、、、。
両親は、私が小学校1、2年の時に学校から色盲の疑いありとの連絡をもらっていたそうですが、気にもしてなっかたそうです。なぜなら、赤、青、黄色、緑色等、原色が判かるんだから色盲じゃないというような親の知識不足もあったのでしょう。また、私が1、2年のころは、なぜか図工の成績が良く、新聞に顔写真が載ったこともあったくらいだったのでまさか色盲だとは思わなかったのでしょう。

中学にはいると、身体測定の時に色盲検査があります。
私の中学の場合、大勢の同級生がいる中での検査でした。
もちろん、正解などしやしません。当然、心ないひとにからかわれもしました。中学生、それも一番傷つきやすい時期に、人権などありぁしません。そうです、これは魔女狩り、いや、色盲狩りにほかならないと思います。もっと配慮があっていいんじゃないの、、、先生。

中学2年の時、色盲が治ることを知り、目白にかよいました。そうです、あそこです。夏休みや冬休みを利用し計50回以上治療し、レンタルの機械を借りて自宅でも治療しました。
その結果、色盲が治ったかどうか、良くなったかどうかは、ここではいいません。ただ、良くなった気がするとだけいっておきます。

大学に進学し、そこでも色盲検査がありましたが、自分から「色盲です!」といっちゃいました。そのほうがらくですから、、。大学の同級生に同じ色盲の友達がいます。マージャンのやくに”緑一色”とゆうのがあります。ようっく見ないと赤のはいっている牌がわかりません、その友人も目白にかよっていたそうですが、私とおなじです。

社会人になっても、健康診断があります。私の場合、訳あって9月に入社したので自分で病院に行って受けたわけです。まさか、そこで色盲検査をうけるとわ~~。ふいうちなのね~~。担当の看護婦さんは、院長先生らしき人をよんできてしまい、その先生がまたスケベッたらしく再検査をするわけです。「色盲がそんなに めずらしいかー、バッカヤロウ~!」 けっこう傷つくもんです、、、。

だいたいこんなもんです。私の色盲のトラウマは。

普通に生活してるぶんには、ほとんど不便を感じないんです。でも車を運転していると、ちょっと困る時がありますが、、、。もし正常な人が色盲の状態になれば、まちがいなく、不便でしょう。しかし生まれてついての色盲ですから、意識しない限りほとんどだいじょうぶなんです。色盲の人で地下鉄の地図の色分けされたものを見て判る人はいないとおもいます。私の場合昔っからそうなので、そうゆうもんだとおもってしまうわけです。それを不便とは感じないわけなんです。ただ、どうしても色に対して臆病にならざるをえないところはあります。なぜなら色をはっきりと認識出来ないと判ったのですから。

今、私は30才ですが、色盲の子供さんをもつ父兄の方にいいたいのは、色盲を重大なハンディキャップとは思わないでくださいということです。私の場合がそうでしたが、親がそうだと、子供は、それ以上に苦しみ、悩んでしまいます。私が自分のハンディを現実に自覚するのは色盲検査を受けている時ぐらいで、多少のことはなんとかなるものなんですから。

以上です。自分でも、何を言わんとしているのか、わからなくなちゃいました。 昔から作文が苦手なんで、読みづらい文章で、すいませんでした。(笑)