NAOさん 1999/05/10
はじめまして
ひょんなことからこのページにたどり着きました。
──あ、そうだ僕も色弱だったっけ!!──
僕はフリーでグラフィックデザイナーをしています。
やばいですかね~。今までクレームを受けたことはないです(笑)
とすると僕は「軽い」のでしょうか?
一応石原式チャートだとだめですが。
(一枚に10秒ほどいただくと「頭」で解読できます。あれは色弱の人に色相差より明度差が強く見えるようになっている)
とにかくこのページは自分の「色弱人生」を反芻させてくれました。
最初は中学の検査の時、きっぱりと進路担当に呼ばれたのが高校一年でした。
とにかく「芸術命」で、美大へいくことは当然と思っていたので。
ショックだったのかな~。そんなに愕然とした覚えはないです。
(いわゆる「普通の絵」を描いてなかったから、ばれなかったという説もある)
大学病院付属の専門科で検査も受けましたが、まあ、色弱な事実は変わらないわけで。
しかし、とにかく進路担当からは不用意に「脅され」た覚えはあります。
「和同会」のパンフを渡され、医者不可、美大不可、教員不可とかの新聞切り抜きのコピーなど。
(いわゆる日本にありがちな不条理な門前払い感はプンプンだったが)
まあとにかく、確認したのは、だめだったら普通大学へいけるくらいの学力はつけておこうというぐらいですかね。
しかしさすがに教員養成系、国立の芸大は無理だろうということで(あくまでお上にちかいところは突破できないという意(笑))、そのあたりの規定がソフトだった某美大のグラフィック・デザイン科に滑り込みました。
これって相当無謀な行為なのかなぁ。とにかくその当時は「いってまえ~」でした。
親の対応を思い出してみると、「色弱検査のチャートを片っ端に取り寄せて暗記しちゃえばいい」的な(笑)なんともアバウトなものだった(僕もそうしようと思っていた笑))ように記憶していますが、内心どういう心境だったかは定かではありません。
一つあるとすれば高校の時に描いた風景画の白い背景の絵の具に緑色が混じっていたらしく、一面に微妙なペール・グリーンだったそうです。
(それもそのクールな感じにあっていたらしく結果オーライ)
それは写実的な絵画だから指摘される、いわゆる「色彩の意味とコンテクスト」の側面の間違いであって。
たとえば、それ以降主観的な配色にしたので、誰もその色が間違いだとはいわないわけです。
だれも「ゴッホの絵はなぜ空がオレンジなんだ!」とかいわないでしょ。
僕は、「この色何色に見える?」といわれて「僕も緑に見えるわい!」とは憤慨もしません。
それが事実とあきらめてるのか。「個人」のバイアスと思ってるからなのかな。
僕なら「このペール・トーンのグリーンはほとんど白にみえますが、あなたなら25パーセントくらいの調子なの? じゃあこちらの見え方をそのぐらいに思っておきます」と。
クールすぎます?
高校も自由な校風だったので、進路担当に色弱で呼ばれた人たち同士で意見交換もしたし、みなさん今でも各方面でご活躍のことと思います。(僕もとりあえず今までデザインで飯を喰っていけてる)
しかしさすがに辛かったのはグラフィック・デザイン科のベーシック課程です。
バウハウス以降のデザイン教程必修の構造的色彩の把握、マンセル色立体ですべての色彩を構造化する。
フォトショップのカラー・ピッカーの立体版みたいな微妙なグラデーションを、ポスター・カラーで仕上げるやつですね。
まあこのあたりの課題はすべてパスということで(笑)いや採点の後すぐ捨てたんだったかな?
「近代」批判じゃないですが、あのようなもの全員に必要なのかな?
「色出し」管理の「品質管理系」デザイナーには必要かもしれませんが。
一生、「白と黒」しか使わない「意固地」なデザイナーもいていいわけですからねぇ笑)
デザイン学部卒業した人全員がデザイナーになるわけじゃないし、色盲の人がタイポグラフィー・デザインの大家になる可能性もある。機会は均等であるべきです。(小論文で入れる某美術大学もあります)
(雇用機会均等法にねじ込む? 政治はあまり好きではありませんが、社会は手を挙げないと変わらないのも事実)
そういう意味で僕が当時待ち望んでいたのはマックでした。
コンピューター上では色彩が数値化されています。そういう意味では自分の配色の好みをとりあえずうっちゃって、数値で意識化できる。
(kazzy.kさんと同じように、コンプレックスがあると意識的になるのですかね?
僕が「不確定性理論」読んだのは中学生のときです。
──スポーツをしてみるとか単刀直入な自我滅却方法もあるというのに(他意はなし))
あるいは色弱デザイナーのための色相警告プラグイン、あるいはシステム・レベルのコントロール・パネルとかつくってもいい。(今やコンピュータは人間の能力を向上、そして補足させるに十分な性能を持っています。EX. IBMVia-voice)それは自分たち色弱の人のためだけでなく、WEB-インターフェイス・デザイナーにバリアフリーの色彩配色を認知せるものになるかもしれない。(このアイデアだれか採用しないかな)アルゴリズムとしてはそう難しくない。
あと「位置の色(バルール)」と「意味の色」をわけて考えた方がよいと思います。
日本のグラフィックデザインにはこの二つの「混同と不整合」が結構放置されています。
たとえばこのカラーフィクションのトップページのタイトル下にある白地にグリーンの文字。
この色に「論理的必然性」はありません(ありますか?)。まわりが白地であるだけになおさら、色が赤でもグレイでも、とりあえず「間違い」ではありません。そういう意味で「位置の色」の設計を意識的にしっかりしていれば、僕たちのような色弱でも、そう「間違い」を犯すことは無いと思います。(もしこの発言が僕の軽い色弱に由来するものであれば謝ります)
問題なのは「色彩」と「意味」とが対応している場合です。
「グリーンは進め」、「赤は止まれ」など。
あと意味的項目を色によって分類している時、これはいかんともしようがありません。
このホームページの左脇の番号を色分けしていますが、こういう表現がありふれているのは結構日本だけなのじゃないでしょうか。(認識違いであれば撤回します)項目が増えて色相が足りなくなったらどうするのですか?
たとえば日本のテレビの天気予報の画面は色を意味で対応させていてギトギトですが(おまけに墨シャドウ)、BBC WORLDの天気予報図(ネビルブロディ作?)はアイコンはすべて白抜き、そのかわり形態として意味を反映させやすくデザインされています(もしこの発言が僕の軽い色弱に由来するものであれば謝ります)(あと日本のテレビ画面インターフェイスの醜悪さについて一家言ありますがまたの機会に)「意味」の分類を単純に色任せにしないですっきりとしたデザインをするというのは、もっと日本のデザイナーはヨーロッパのモダーンなデザインに学ぶべき点です。
色彩について無関心、かまたはあまりに意識過剰というのも考えものです。
白地に黒文字でいいじゃないですか。なぜバックグラウンドに画像をひくのか?
さらになぜ文字に色をつけるのか?計画性のない配色は色弱でない人でも読みにくいです。なぜ強引に地色と文字色を対色相にしなければならないのか。対色相でも明度差をつけるなど。色弱色盲の人は色相、および彩度で色を認識しにくいため色の明度的な付置構成にすごく敏感であるといえます。
(ハレーションという色彩効果があります。それは彩度の高い色彩が同明度でバチバチくる配色ですが。僕は緑と赤のハレーションのポイント(バチバチくるポイント)が普通の人と違うことに気づきました。僕が見ているサイケデリック・デザインも普通の人とは違うのかもしれません)
フジテレビのNON-FIXで「色弱」をテーマにしたものをご覧になりましたか。
なかなかの力作で、色弱である企画ディレクターとおじいさんとの対話という演出で、隔世遺伝」というモチーフが構成され、色弱のプロの絵本作家の方、ご自身、色弱である筑波大の色彩学の先生などの逸話等、とても肯定的な、愛のある前向きな番組でした。ご覧になっていなかったら取り寄せてでも見るべきです。
「絶対音感」の次は「色弱」かも。
勢いで描きましたので失礼があればご容赦下さい。